京の七夕

七夕のおはなし

七夕と日本文化

〜冷泉家に伝わる雅な七夕 行事「乞巧奠」〜

冷泉貴実子

平安・鎌倉の歌聖と仰がれた藤原俊成、定家父子を祖先に持つ“和歌の家”冷泉家。
その24代為任の長女として京都市に生まれる。25代為人夫人。冷泉家に伝わる貴重な文化遺産を継承・保護するための公益財団法人冷泉家時雨亭文庫の常務理事・事務局長を務める。

七夕は中国から伝わったロマンチックな恋物語

七夕は中国から伝わった
ロマンチックな恋物語

七夕というのは、もともと中国の伝説です。中国では、彦星は「牛飼いの星」と言って農業を行う農夫、織姫は「機織り姫」と言って機を織る庶民なのです。天の川を隔てて、織姫と彦星が1年に1回出逢う恋物語、このお話は奈良時代に日本に入ってきました。

昔は、太陽の象徴で積極的な性を持つ「陽」、月の象徴で消極的な性を持つ「陰」、この陽と陰がふたつでひとつのものを形成する陰陽道という考え方がありました。昔も今も七夕は七月七日ですが、七、七と奇数が重なっていますよね。数字にも奇数(陽数)と偶数(陰数)があり、一一、三三、五五、七七、九九というように、奇数が重なる日を「五大節会(ごだいせちえ)」と言います。一月一日は元旦、三月三日は桃の節句(ひなまつり、五月五月は端午の節句(こどもの日といったように、古来より節会はめでたい日とされてきました。旧暦で七月は秋にあたり、七夕は「秋の初風が頬を撫でていく」時のお祭りです。特に京都の夏はすごく暑くて、過ごしにくい季節ですよね。その季節を無事に越えられて、心地良い秋の初風が吹く頃の恋物語が、七夕の由来なのです。

五日が満月ですから、七日というとちょうど半月になります。この半月を「月の御船(みふね)」と呼び、この船に乗って彦星が織姫を訪ねると言われています。または、「鵲(かささぎ)の渡せる橋」と言って、鵲が羽を広げ連なって橋を架ける、であったり、秋の季節にちなんで紅葉した葉が架ける「もみじの橋」と言われることもあります。天の川にそのような橋が架かって、彦星が川を渡り、対岸では織姫が1年に1回の逢瀬を楽しみに待っているのです。天の河原には秋の七草、つまりススキやハギ、フジバカマ、オミナエシ、冷泉家ではカワラナデシコ、アサガオ、クズを使いますが、そのような秋の草花が咲き乱れています。その葉には白露が置き、秋の虫も鳴いている、そのような大変美しい初秋の景色の中で、二人の恋物語が始まるのです。

冷泉家の七夕行事「乞巧奠」

冷泉家の七夕行事
「乞巧奠」

冷泉家では、織姫を貴族のお姫様、彦星を公達(きんだち=貴族の青年として、恋人である二人が天の川を隔てて「一年(ひととせ)に一度(ひとたび)の逢瀬を契る」と言われる旧暦七月七日に「乞巧奠(きっこうてん)」という七夕行事を行います。まず、庭に祭壇「星の座」を設け、そこに海のもの、山のもの、秋の七草、五色の布や糸などさまざまなものを並べ、お星さんに捧げます。そして梶(かじの葉も吊るします。梶とはこの夜を象徴する神聖な植物なのですが、この梶の葉に和歌を書くという情趣も現代に残っています。梶の葉を吊るして星をお迎えする、そのようにして星がデートする夜をお祝いするのです。

乞巧奠とは、「乞」という字と「巧」という字を書くのですが、これは「技が巧みになるように祈る」という意味が込められています。技とは、宮中文化である蹴鞠や雅楽、和歌のことですね。日本の宮中儀式で行われていた乞巧奠は本来、蹴鞠から始まるのですが、冷泉家では蹴鞠は行わずに雅楽から始めます。まず雅楽でお星さんにお供えを行い、それが終わったら「披講(ひこう)」というお星さんに歌を詠み上げる行事が行われます。披講の次は「流れの座」です。白布を引いて男性が彦星、女性が織姫になったつもりで、天の川を隔ててお互いに恋の和歌を詠み、歌を扇にのせてやりとりを行います。この一連の流れが、冷泉家の乞巧奠の行事です。昔は、鶏が朝を告げるまで一晩中遊んでいたそうですよ

乞巧奠は、一夜を契る織姫と彦星が、曙の空とともに別れなければならない切なさ、そして次に出逢える日を楽しみに待つという、切なさと楽しさ、相反するふたつの気持ちが表裏一体となった行事です。七夕とは本来、雅楽などの技芸が巧みになるように願いを込めるのと同時に、切ない恋の一夜の成就を願ったお祭りなんですね。ひと夜を大人たちが、彦星や織姫になったつもりで恋の遊びを楽しむ夜だったそれを今も伝えているのが冷泉家の乞巧奠です。

今こそ伝えたい、日本文化に根ざした七夕

今こそ伝えたい、
日本文化に根ざした七夕

皆さんが知っている年中行事でクリスマスがありますが、日本にクリスマスが入ってきて100年ちょっとだと思います。七夕のお祭りというのは、千何百年も前から日本で永く受け継がれてきた恋物語なのです。人々の心の中で息づいてきたものですが、現代では願いごとをする日というイメージの方が大きくなっています。本来は豊かでロマンチックな七夕の物語を、わたしたち日本人が失ってしまうのはとても悲しいことだと思いませんか?

このような物語をお聞きになったら、皆さん「あぁ、そんな話があったな」と、記憶の彼方に思い出されると思うのです。「鵲の渡せる橋」も、まったく聞いたことがない、ということはないでしょう。「そういえば百人一首にあったな」とか、ちょっとはご存知ではないかと思います。それをもう少し広げて欲しい、もう少しだけ思い出して欲しい長きに渡り脈々と受け継がれてきた日本の文化、伝統を、京の七夕を契機に思い出してくださればいいなと思っています。日本の文化に深く根ざした七夕に思いを馳せていただきたい、それがわたしの願いです。

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